少年期からあった江刺との縁

  盛岡在住の作家・高橋克彦さんは、平成3年の第106回直木賞(『緋い記憶』文藝春秋刊)に続き、平成11年に『火怨』(講談社刊)で第34回吉川英治文学賞を受賞された。 さらにさかのぼると、昭和58年に『写楽殺人事件』(講談社刊)で第29回江戸川乱歩賞、昭和61年には『総門谷』(講談社刊)で第7回の吉川英治文学新人賞を受賞されている。
 克彦さん原作の大河ドラマ『炎立つ』(平成5年)の前半部分で主要な舞台を演じた江刺だが、克彦さんの少年期においても、少なからぬ役割を果たしている。
 江刺市前田町(現在:奥州市江刺区)にある平芳治さんの家は、高橋克彦さんの祖母マツノさんの生家である。克彦さんが奥州市江刺区の岩谷堂によく来ていたのは、小学校4、5年生の頃。
 当時、平さんの家には、水沢の緯度観測所(現国立天文台水沢観測センター)の2代目所長・川崎俊一さんから譲られた文藝春秋発行の小学生全集(昭和4年発行)があった。また、戦時中、釜石製鉄所の嘱託医をしていた木村謹三さん(マツノさんの夫)が江刺に移していた家財の中にも子供向けの本がたくさんあり、これらの本を読みたいこともあって、克彦少年は江刺に何度も足を運んだといわれている。 克彦さんは水沢駅からバスに乗り、当時江刺市中町(現在:奥州市江刺区)にあったバスセンターで降りて、そこから前田町まで歩いた。中町の食堂でいつもソフトクリームを食べていたことは、よく知られたエピソードである。

 


小学校5年生の高橋氏
(昭和33年12月7日
  写真提供:平芳治氏)

月光仮面?のまねをしている高橋氏10歳
(昭和33年3月27日
 写真提供:平芳治氏)

 

 

平三郎氏 第1回吉川英治賞新聞記事(昭和42年) 蜘蛛の巣を採取する平三郎氏
昭和39年NHK撮影
写真提供:平芳治氏


第11回吉川英治賞受賞(昭和52年)
高橋喜平氏の写真集
「雪と氷」朝日新聞社発行

 

 



吉川英治文化賞を受賞
クモの巣博士 平三郎

 ところで、平芳治さんの父・平三郎さんは、推理小説界の巨匠・松本清張が文学賞を受賞した昭和42年の第1回吉川英治賞で、学術研究分野での地道な業績を高く評価され、吉川英治文化賞を受賞されている。
 故平三郎さんは、水沢の緯度観測所に技師として勤務されていたとき、緯度観測のための望遠鏡「視天頂儀」に張る1ミクロン以下のクモの糸を採取し、接眼レンズに目盛りとして張り付けるという高度の精密さが要求される仕事に永年携わっていた。この観測方法と技術は、当時世界中の天文台で採用されており、天文学の研究・発展に大きく貢献している。
 なお、吉川英治文化賞では、「雪博士」として世界的に知られ、エッセイストとしても活躍する克彦さんの叔父・高橋喜平氏が、昭和52年に雪崩の生態調査と雪崩防止の研究で高い評価を受け、第11回吉川英治文化賞を受賞されいる。