宮沢賢治は大正六年八月二十八日、盛岡高等農林学校三年の時、江刺郡役所(現・奥州市江刺区)の依頼を受け、土性調査をする目的で、学友二人と共に初めて江刺を訪れた。 |
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種山ヶ原を舞台にした作品の中で最も知られているのは、三度映画化されている「風の又三郎」だろう。最初の映画化は戦前の昭和十五年で島耕二が監督。有名な「ドードド」で始まる歌は、このときに杉原泰蔵が作曲したものである。二度目は昭和三十一年、村山新治が監督した。江刺でロケされたのはこの作品だが、残念ながら三作のうち、これだけがビデオ化されていない。 |
「風の又三郎」のほか、童話では 「さるのこしかけ」「達二の夢」「種山ヶ原」などが種山ヶ原を舞台にした作品。賢治は花巻農学校の教師をしていた大正十三年に、これらの作品を変形・発展させ、戯曲「種山ヶ原の夜」を書いて生徒に演じさせている。昭和三十七年に高原の一角、立石近くに建てられた詩碑に刻まれているのは、この戯曲の中で使われている「種山ヶ原の雲の中で刈った草は」で始まる詩「牧歌」だ。 賢治の作品には、岩手の自然を舞台にしているものが多いが、中でも岩手山、早池峰山、種山ヶ原は登場する頻度が高く、研究家の中では「賢治三山」と呼ばれている。 |
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