小牧正英氏は日本で初めて『白鳥の湖』を上演したバレエダンサーであり、日本において本格的なバレエを始めた草分け的存在である。日本におけるバレエの歴史は、小牧氏なしに語ることはできない。
 小牧正英氏は、岩谷堂の銭鋳町(現・銭町)の出身で、本名は菊池榮一という。小牧正英は芸名である。
 家は菊榮商店という味噌・醤油・酢の製造販売業を営んでいた。比較的裕福な家であった。榮一少年は東京の目白商業学校に進学する。
 生きる道を探っていた榮一は、子供の頃から好きだった絵画の道にあこがれを持っていた。その一方で芸人にも関心を抱いていた。


バレエ・ルッス「牧神の午後」(右)
ノラ・ケイ「白鳥の湖」(左) 写真:小牧バレエ団提供


現役時代の小牧正英氏
写真:小牧バレエ団提供


 そんなある日、ロシア舞踊について、図をふんだんに入れて紹介した本に出会う。この本に感動した榮一は画家を志し、パリに行こうと考えた。大陸に渡り鉄道での密航を企てたが発見され失敗。しかし、ハルビンに残されて、ハルビン音楽バレエ学校を知ることとなる。ロシア人しか入学が許可されない同校だったが、榮一は特例のテストに合格して入学した。
 このあと、榮一はさまざまな体験をしながらバレエを学んだ。小牧正英という芸名は上海時代に付けた。まもなく戦争が勃発。幾度もの危機を乗り越えて、榮一は日本に引き揚げた。
 戦後、東京バレエ団設立に参加。昭和二十一年(1946)八月九日、日本で初めて『白鳥の湖』を帝国劇場で全幕上演した。その後、小牧バレエ団を創設し、日本バレエ史に一時代を築く。

 ところで、江刺・岩谷堂と西洋舞台芸術の粋「バレエ」とは、全く結びつかないような気がする。突然変異で小牧正英という天才ダンサーが江刺から出現したのだろうか。
 繁栄していた頃の岩谷堂は芸事が盛んな街であった。また、江刺地方では今なお多くの伝統芸能が継承されている。小牧氏が江刺から生まれたことに何ら不思議はない。江刺はもともと「舞踊の郷」なのだから。
 小牧正英氏は平成十一年で八十八歳となられる。今も東京で元気に暮らされている。



油彩「海辺」ハワイ・ワイキキ
(県立江刺病院所蔵)


小牧正英氏については、
『「白鳥の湖」伝説〜小牧正英とバレエの時代』
山川三太著(無明舎出版)に詳しく紹介されています。
この本は銭町出身の元読売新聞記者
故及川芳夫氏の支援によって編集・執筆されたものです。



油彩「帆舟」1962年(岩谷堂公民館所蔵)
一水会会員の画家でもある小牧氏の作品