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寛政年間、百姓一揆を起こした “義民”清三郎 天明の大飢饉とそれに伴う疫病の流行、さらに寛政に入ってからも北上川やその流域の河川の大洪水に襲われるなど、庶民は生活に堪え切れず、田畑を捨てて他所へ逃れる者が多く出るようになった。 |
奥州市江刺区伊手口沢にある清三郎の碑 |
寛政九(一七九七)年三月七日、清三郎指導のもとに村民が集結し、仙台表に強訴しようとした。まず横瀬村を引き入れ、数百人となり、さらに近接の浅井・角掛・次丸・原体村にも呼びかけ、九日夜半には、総勢千六百人が岩谷堂の大明長根に集結し上仙を企てた。岩谷堂の館主は、家老を現地に派遣し、鎮撫に努めるとともに、願箇条を仙台表へ進達することを約束した。 |
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