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◆―藤原清衡の願い
11世紀、北上川流域の奥六郡は安倍氏が実質的に支配していた。安倍頼時の頃、朝廷は源頼義・義家親子を奥州征討に送った。亘理郡の郡司をしていた藤原経清は、源頼義のやり方に憤りを覚え、のちに安倍氏側についた。経清は安倍頼時の娘・結有を妻に迎えていた。
 前九年の役の戦いは、はじめ地の利がある安倍氏に勢いがあった。だが、出羽を支配していた清原氏が源頼義に加担してから形勢が逆転。安倍氏は厨川の柵での戦いを最後に滅亡し、経清は捕らえられて斬首された。
 経清の子・清衡は、母結有が清原武貞と再婚したため、連れ子となった。しかし、清衡は自分が安倍氏の子孫であることや経清の子であることを忘れてはいなかった。もめ事をきっかけに後三年の役が始まり、奥州は再び戦乱の場となった。その果てに勝ち残ったのは、藤原清衡ただひとりであった。幼い頃から辛酸をなめ続け、繰り返される戦の中で生きてきた清衡は、美しい緑の大地に平和な極楽浄土のような国をつくりたいと考えた。
 11世紀末、清衡は仏教都市をつくろうと決意し、居館を江刺から衣川を越えた平泉に移した。戦いのない理想郷の建設をめざして……。


【炎立つ 巻の壱〜伍】
日本放送出版協会、講談社文庫
(文庫解説:井沢元彦・宮部みゆき・杉浦日向子・大沢在昌・井家上隆幸)
[炎立つ]
 平安末期、栄華を誇った奥州藤原氏。高橋克彦著『炎立つ』は、その初代・経清から四代泰衡に至るまでの140年間にわたる興亡を、壮大なスケールで描いた大河ドラマの原作である。江刺地方は、経清と清衡が登場するドラマの前半部おいて、主要な舞台となっている。

■歴史ロマンのまちづくり

  江刺青年会議所が「清衡の里・江刺」運動を行い、江刺市がふるさと創生事業の一環として「まちづくり研究塾」を発足させた平成3年9月、NHKは平成5年の大河ドラマに高橋克彦氏の原作による「奥州藤原四代」(仮題)を放送すると発表した。江刺の青年たちは、直ちにメーンロケ地誘致、オープンセット建設運動に取りかかった。
 ロケ地誘致は成功、オープンセットは恒久施設、歴史公園「えさし藤原の郷」として実現した。

五位塚墳丘群
大小の墳丘は、藤原経清の一族が葬られている墓と言われる

豊田館跡
藤原経清の居館があり、清衡が生まれたところと伝えられている

えさし藤原の郷
約20ヘクタールの広大な敷地に平安時代の建築群が再現されている歴史公園。「炎立つ」のロケ地
◆―アテルイの残影  

▼アテルイと蝦夷の物語

  大和朝廷は、東北地方に住み、朝廷の支配に従わないものたちを蝦夷と呼んでさげすんでいた。さらに黄金を求めてどん欲に北の大地へ押し寄せる朝廷軍。
おびただしい数の兵士を相手に、蝦夷の若きリーダー・アテルイは遊撃戦を開始する。
「続日本紀」に、ほんの数行しか触れられていないアテルイと蝦夷をダイナミックな物語として構築したのが「火怨」。河北新報に連載が開始された平成9年から話題を呼び、平成11年に第34回吉川英治文学賞を受賞している。

▼北の空に永遠に輝く星
  789年(延暦8年)の「巣伏の戦い」では、征討将軍・紀古佐美率いる5万人の朝廷軍を破った。だが、そのあとも戦いは続く。801年、征夷大将軍坂上田村麻呂率いる朝廷軍に敗れる。このとき人として信頼するに足る敵将・田村麻呂が現れ、アテルイは同朋の命と誇りを守るため、自らの命を捨てる覚悟を固めた。
「蝦夷は獣にあらず、鬼でもない。子を愛し、花や風に喜ぶ。蝦夷に生まれて、俺は幸せだった」
 アテルイは斬首され、勇者は北の空に輝く星となった。
コピーライト*酒勾俊明

【火怨 上・下】講談社
[火怨]
東北の英雄・アテルイの生涯を描いた歴史巨編。河北新報に連載されていたときから注目を浴びていた。
■アテルイ没後1200年
  2002年はアテルイの没後1200年にあたり、さまざまな記念イベントが企画された。また、秋田に本拠を置く劇団わらび座は、「火怨」を脚色した「北の燿星 アテルイ」を上演。これも話題を呼んでいる。


人首丸が潜んでいたとされる窟
(左・中央)

人首丸の墓
種山ヶ原に近い大森山には、地元で人首丸の墓と伝えられる石塔が立っている

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