及川家四代は見事なほど芸術家の血で繋がっていることにまず驚きます。特に二代目及川豪鳳は東京、川端画学校を最優秀で卒業し、将来を嘱望されながら、家庭の都合で帰郷しなければならなかったことは惜しまれてなりません。しかし四代までが芸術の道でそれぞれ名を為していることについて、改めて市の誇りであると考え、ここに及川四代を綴りました。 ■慶應2年―1866 1月12日 及川幸太郎直俊二男庄三郎直康出生(後の窟堂)。 ■明治3年―1870 6月24日 初代菅原権五郎長女ヨシヘ出生(後の窟堂妻)。 ■明治27年―1894 11月23日 直康長男はしめ出生(後の豪鳳)。12月 分家。 ■明治30年―1897 11月29日 直康二男勇次郎出生(後に絹川)。 ■明治33年―1900 1月23日 半澤甚三郎長女チヨ出生(後の豪鳳妻)。 ■明治35年―1902 2月22日 直康長女喜代乃出生(後に福島)。 ■明治37年―1904 12月20日 直康二女喜久代出生(後に菊地)。 ■大正3年―1914 はしめ上京、川端画学校へ入学(上京時19歳)。 ■大正5年―1916 3月10日 窟堂妻ヨシヘ没(46歳)9月23日 窟堂没(50歳)。 ■大正7年―1918 3月 はしめ・川端画学校卒業。 ■大正8年―1919 二代菅原権五郎没。 ■大正10年―1921 12月30日 はしめ・半澤チヨと結婚。 ■大正11年―1922 1月24日 豪鳳長男隆夫出生。 12月25日 菅原モゝノ三男利臣出生(後に及川)。 ■大正13年―1924 2月16日 豪鳳長女さち子出生(後に利臣妻)。 ■昭和2年―1927 1月27日 豪鳳二女洋子出生(後に大和田)。 ■昭和12年―1937 利臣・岩谷堂尋常高等小学校卒業。 ■昭和15年―1940 利臣・東京図案専門学校入学。 ■昭和16年―1941 利臣・大正製薬入社。 ■昭和17年―1942 利臣・東京興亜工業技術機械製図科及び数寄屋橋クロッキー研究所卒業。 ■昭和18年―1943 利臣出征のため大正製薬退社。 ■昭和19年―1944 2月17日 豪鳳長男隆夫戦死(25歳)。 ■昭和22年―1947 利臣復員。さち子と結婚。12月26日 利臣長男利春出生。 ■昭和24年―1949 7月10日 利臣長女あけみ出生(昭和49年菊池康と結婚)。 ■昭和41年―1966 利春・水沢高等学校卒業。 ■昭和45年―1970 4月29日 豪鳳没(75歳)。「筆一貫」の絶筆を遺す。 ■昭和47年―1972 利春・武蔵野美術大学卒業。講談刊『グラフィックデザイン』編集部(グラフィックデザイン社)入社。 ■昭和50年―1975 利春・川口印刷工業株式会社入社。及川幸枝と結婚。 ■昭和60年―1985 利春・盛岡にて及川デザイン室設立。 ■昭和61年―1986 2月 豪鳳二女洋子没(59歳)5月3日 長女さち子没(62歳)。 ■平成7年―1995 11月2日〜4日 旧近藤医院にて「豪鳳生誕100周年記念展」。 ■平成9年―1997 9月23日 豪鳳妻チヨ没(97歳)。 ■平成10年―1998 5月 『「筆一貫」追想・及川豪鳳』上梓。 9月30日〜10月4日 盛岡・一の倉邸にて「筆一貫展」。 ■平成13年―2001 11月4日〜23日 えさし郷土文化館にて「及川豪鳳展」。 11月〜第2回世界ハート展(NHK等主催)2003.2月まで 全国各地及びイギリス・アメリカを巡回。利春賛助出品。 ■平成14年―2002 4月27日〜7月 萬鉄五郎記念美術館にて「岩手のグラフィックデザインの流れ展」。利春出品参加。
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