フィールドの発見 Kyo Sasaki 佐佐木 匡


◆【上伊手剣舞連】
江刺郡地質調査中
大正6年9月3日 はがき
盛岡市 保阪嘉内あて
人首ニテ 賢治拝

うす月にかゞやきいでし踊り子の異形のすがた見れば泣かゆも。

剣まひの紅ひたゝれはきらめきてうす月しめる地にひるがへる。

月更けて井手に入りたる剣まひの異形のすがたこゝろみだるゝ。

うす月の天をも仰ぎ太鼓うつ井手の剣まひわれ見て泣かゆ。

上伊手剣舞
 江刺郡伊手村上伊手に、昭和の初め頃まであったとされる念仏踊り系の剣舞。庭元は佐藤家で、正太郎の代に始まり、常吉、正一郎と続き、途絶えた。組み方は、太鼓4人(一つを2人で)、かね1人、笛1人、踊り手は10人ほど(女なし)。5、6年生を中心に15歳ごろまでであったと伝える。


◆上伊手剣舞連 歌碑
作品――剣舞の赤ひたゝれはきらめきて
    うす月しめる地にひるがへる
    「上伊手剣舞連四首」のうち
場所――奥州市江刺区伊手阿原山頂上
建立――平成6年(1994)6月5日
建立者―宮沢賢治歌碑
    建立有志(伊手・
    男沢健ほか)

写真上/阿原山より、旧赤金鉱山、種山高原(中央後方)をのぞむ

【種山ヶ原】

▼詩「種山ヶ原」下書稿(一)
大正14年7月19日
全164行より抄出

海の縞のやうに幾層ながれる山
 稜と
しづかにしづかにふくらみ沈む
 天末線
あゝ何もかもみんな透明だ
雲が風と水と虚空と光と核の塵
 とでなりたつときに
風も水も地殻もまたわたくしも
 それとひとしく組成され
じつにわたくしは水や風やそれ
 らの核の一部分で
それをわたくしが感ずることは
 水や光や風ぜんたいがわたく
 しなのだ。
   ……蜂はどいつもみんな
         小さなオルガンだ

◆みちのくの 歌碑(現存せず)
作品――みちのくの
    種山ヶ原に燃ゆる火の
    なかばは雲にとざされにけり
    「種山ヶ原七首」のうち
場所――物見山頂上(870.6m)
建立――昭和28年(1953)3月20日
建立者―気仙郡世田米町(現住田町)
    大股青年団
碑身――けやき板(高さ5m50cm)


吉田精美著・『宮沢賢治碑真景』より

◆種山ヶ原 詩碑
作品――まっ青に朝日が融けて
    この山上の野原には
場所――気仙郡住田町字子飼沢
    道の駅「種山ヶ原」地内
建立――平成13年(2001)12月4日
建立者―住田町
碑身――住田町上有住産 石英斑岩


【五輪峠】

▼『春と修羅』第二集
詩「五輪峠」(口語詩)
大正13年3月24日

あゝこゝは
五輪の塔があるために
五輪峠といふんだな
ぼくはまた
峠がみんなで五っつあって
地輪峠水輪峠空輪峠といふのだ
 らうと
たったいままで思ってゐた
地図ももたずに来たからな
   そのまちがった五つの峯
    が
   どこかの遠い雪ぞらに
   さめざめ青くひかってゐ
    る
   消えやうとしてまたひか
    る

◆五輪峠(文語詩)詩碑
作品――五輪峠となづけしは
    地輪水輪また火風
    「文語詩稿五十篇」より
場所――和賀郡東和町田瀬町営
    五輪牧野五輪峠
建立――昭和55年(1980)8月
建立者―五輪牧野記念碑
    建立委員会
碑身――黒御影石(外国産)


五輪塔
 奥州市江刺区・遠野市・花巻市東和町の境界、標高556mに位置する五輪峠に立つ。峠は遠野街道と人首街道の通り道で、藩政時代には麓に関所があったという。「五輪」は、戦死した将の霊を弔うため建てられた五輪塔に由来する。現在は行きかう人もない。峠を越える風の中に、五輪塔と錆びたバス停標識の支柱だけが立っている。


【原体剣舞連】

▼『春と修羅』大正13年刊行
「原体剣舞連」
大正11年8月31日

夜風とどろきひのきはみだれ
月は射そそぐ銀の矢並
打つも果てるも火花のいのち
太刀の軋りの消えぬひま
  dah-dah-dah-dah-dah-
    sko-dah-dah
太刀は稲妻萱穂のさやぎ
獅子の星座に散る火の雨の
消えてあとない天のがはら
打つも果てるもひとつのいのち
  dah-dah-dah-dah-dah-
    sko-dah-dah
■賢治は、昭和8年岩谷堂から原体の庭元に向かったが、疲労のため原体の菊地誠宅から引き返した。部落に伝わる話である。

絵本
「原体剣舞連」
加藤龍勇画
朝日ソノラマ刊

宮沢賢治の詩「原体剣舞連」に触発されて描きあげた詩画集。透明感のある水彩画と賢治の詩のリズムが融合した、新境地と呼ぶにふさわしい一冊。


原体剣舞
 笛・太鼓・鉦の音色に合わせて、男女の子どもたちが舞い踊る。奥州市江刺区田原の原体地区に伝わる「原体剣舞」の独特の囃子と振り付けは、勇壮な中にも幻想性が感じられる。宮沢賢治が大正6年8月に江刺を訪れたとき、この舞いを見て大変気に入り、長編の詩「原体剣舞連」を書き上げた。
写真提供/原体剣舞保存会
◆原体剣舞連 詩碑
作品――こよひ異装のげん月の下
    『春と修羅』より
場所――奥州市江刺区田原字新田(原体経塚森)建立――昭和43年(1968)10月13日
建立者―原体部落会
碑面――ブロンズレリーフ
    制作 小野寺玉峰
碑身――白御影石

【風の又三郎】
▼少年小説「風の又三郎」
成立 昭和7年ごろ
初期形は「風野又三郎」。大正13年2月、農学校の生徒松田浩一が作者の依頼で筆写。成立はそれ以前。風の精の又三郎が、村童たちに大気の循環をベースに風の気象学を語る内容。後期形「風(の)又三郎」は、童話「種山ヶ原」「さいかち淵」を組み入れて成立。内容の中心は又三郎と村童たちの交流にあり、現実と幻想が入りまじって展開する。日本の児童文学の名作であり、イギリスのジェームズ・バリ(1860〜1937)作の児童小説「ピーター・パン」と双璧をなす。

現役だった頃の校舎
映画「風の又三郎」の
ロケが行われた
旧木細工中学校

 かつては木細工地区の文化の中心であり、心のよりどころであった。地元住民も多数出演した昭和32年制作の東映教育映画「風の又三郎」では、ロケに使われている。統合により廃校となった校舎は現存しているが、かなり老朽化している。

▼激 「種山ヶ原の夜」
上演 大正13年8月・花巻農学校

「牧歌」

伊藤(心配さうにうろうろそこ
    らをさがす)
樹霊(いっしょに囃す)
 「種山ヶ原の、雲の中で刈っ
   た草は、
  どごさが置いだが、忘れだ
   雨ぁふる、
  種山ヶ原の、せ高の芒あざ
   み、
  刈ってで置ぎ、わすれで雨
   ふる、雨ふる
  種山ヶ原の 霧の中で刈っ
   た草さ(足拍子)
  わすれ草も入ったが、忘れ
  だ 雨ふる

◆牧歌 詩碑
作品――種山ヶ原の 雲の中で刈った草は (「歌曲」より)
場所――種山ヶ原立石(奥州市江刺区米里立石)
建立――昭和37年(1962)7月15日
建立者―種山高原観光協会
碑面――銅板
碑身――露岩(緑色岩)
全国に50基ほどある賢治碑のうち、唯一露岩に銅板をはめこんだ碑
◆風の又三郎 像
作品――「風の又三郎」
場所――奥州市江刺区米里字大畑
    (星座の森)
建立――平成8年(1996)5月1日(除幕5月26日)
建立者―風の又三郎像を建てる会(母体 江刺賢治の会)
制作者―中村晋也
像―――ブロンズ
台座――江刺市蓬莱山産 蛇紋岩
星座の森
 種山ヶ原で一番高い山、物見山(871m)の麓に設けられた江刺市営のアウトドア施設。センターハウス、ログキャビン、キャンプサイトに囲まれた広場には、中村晋也氏作の「風の又三郎像」が建つ。